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Le passé amène l'avenir・2

  • 執筆者の写真: Ryoko K.
    Ryoko K.
  • 2017年6月19日
  • 読了時間: 3分

「作曲までの道のり」と題して前回書きましたが、素敵な言葉に出会ったので、タイトル変更しました。

Le passé amène l'avenir.

(過去があってこそ未来があるのです/ Par Victor Hugo)

パリでローマ時代の円形闘技場が都市開発で埋め立てられそうになった時、市議会にそれを守るために訴えた時のヴィクトル・ユーゴーの言葉の1フレーズです。

音楽こそ私の人生!と悟った出来事に止めを刺すような出来事が、それからすぐ起こりました。

ある女性作曲家の音楽との出会いです。

彼女の音楽は男性のように力強く、そして美しい音色と個性で溢れていました。

これはずっと後、自分が作曲の勉強をして知識を得たことで、見事に覆されてしまうのですが、当時はとにかく驚きでした。

女性でもこんな壮大なオーケストラ音楽を作ることが出来るのか!と。

大作曲家が作った曲を演奏する側だった自分が、曲を作ることに興味を持つ日が来るなんて微塵も想像していませんでしたが『彼女のような音楽を作りたい!』と心からそう思いました。

そう思ったらいてもたってもいられないのが私。

彼女のCDを買い漁り、分からないことはレコード会社にファンレターを送って質問してみたり(笑)。(丁寧なお返事をきちんとスタッフからいただきました)

今から作曲科へ転入するのは日本国内では、ありえなさそう。

でもやってみたい!

どうする?!

そしてこれも縁なんでしょうね。

その時通っていた英会話スクールで留学カウンセリングが開かれることに。

当初、留学なんていうのはまたそれこそ自分にとっては関係のないことだと思っていました。

たまたまそこで仲が良かったマネージャーに「うちのスクールだけ、このカウンセリング参加者が少ないの!お願い、バイト代出すから参加して!」と頼まれたので、軽い気持ちでOKしました。バイト代に釣られただけなんですが(笑)。

そして、そこで話の流れで出てきたのがボストンの音大でした。

話を聞いているうちに「なんだか行ってみたいな」となり、カウンセリング終了後、自宅に戻るなり、風呂掃除をしていた母に「アメリカに留学したい」と迷わず切り出していました。

母曰く、それは私が初めて自分から何かをしたいと主張した瞬間だったそうです。

ですが、会話としては実に淡泊でした。

「本気なの?」

「うん」

「あ、そう。じゃ、行けば」

「うん。行く」

なんとなく覚えているのは、それがたった2~3日の間に起った出来事だったこと。

学園祭だかなんだかで1週間くらい大学が休みだった間にそれを決めると手続きを始めて、休み明けに当時の親友に「留学することにした」と報告したら、「何の相談もしてくれないで、そんな大変なことを決めたの?」と泣かれてしまいました。

それがおそらく大学2年の半ばくらいだったでしょうか。

この留学を理由に「今の私に教職は絶対に必要ない。時間の無駄だから教職課程は取らない」と親を説得しました。

それからの私の大学生活は、すべて作曲と留学のための時間となっていきました。

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